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エリナ4歳。この頃すでにブラックミュージックに目覚めていた


ボランティア活動に燃えていた頃。アジア青年の船で国際交流活動に参加(1996年)


初めてのタイ短期留学(1996年)


東京の自宅にホームステイしていたタイ人の親友ネンちゃん。彼女とは姉妹のような間柄だとか(1997年)


「NO MONEY」のミュージックビデオ撮影現場にて。このビデオは大好評だった(2001年)


ERINA + THE AFRO BROSのファーストアルバム(2001年)


サイアムセンター内のCentre Pointでのコンサート(2001年)


コンサート後のサイン会の様子。大勢のファンが詰め掛けた(2001年)

  タイに興味をもったきっかけは?
  高校3年の頃までは欧米文化や言語ばかりに興味があったんですけど「これ以外の世界、価値観があるはず。もっと別の世界を見てみたい」と思い始め、大学に入った頃からアジアに関する本を読んだり、ボランティア活動を始めました。ボランティアは貧しい国の子供たちの生活や学業を支援するNGO団体で、4年間手紙と書類の翻訳ボランティアをしました。そこでアジア諸国の言語や文化を学ぶことができ、さらにアジアに興味を持つようになりました。
タイに惹かれたきっかけは、大学2年の時に行った友達との旅行でした。タイの地に踏み降りた瞬間に一目惚れ。「ここだ!! 」と感じたのを覚えています。気候、匂い、食事……生理的に一番基本的なものがぴったりでした。料理はおいしいし、タイ語の発音、文字はかわいいし。あらゆるものに惹かれ、帰国後はタイ語を学びながら、タイについての書物を読みあさり、さまざまなボランティア活動にも参加しました。とにかくタイに関わる何かをしたいと思っていました(編集部注:ワイワイタイランドの姉妹誌Bangkok Timesのお手伝いをしてもらったこともあり!)。
大学3年の頃にはバンコクに初の短期語学留学。そして、大学卒業後の10月、タイの大学院への留学を決意しました。
  タイでのデビューのきっかけは?
  タイ語を勉強して2年くらい経ったころ、Hip Hopのパーティーに呼ばれ、そこにいたアフロブロスのメンバーに声をかけられたのがきっかけです。当時彼らはあるプロデューサーに付いて自らの曲でデビューするためにデモテープを製作中でした。でもタイでHip HopのCDを出す場合、大抵「ジャンルを変えてくれ」とか「ロックやポップスも混ぜてくれ」といわれてしまうんです。タイの基準でそんなことをすると本当にヒップホップでなくなってしまいます。タイ人は「サバーイ」「サヌック(楽しい)」のアコースティックや軽いフレンチポップといったジャンルが好きで、歌詞もハードで社会に向けたメッセージ性の強いものはあまり聴かないようです。だからHIP HOPが一番性に合わない音楽なんじゃないでしょうか。
タイは外見重視の傾向があります。芸能界もそうで、まず顔や容姿が重要視されます。タイ芸能界に欧米人とのハーフが多いのも、肌が白い人が美しいというタイ人の美的観念からくるものかもしれませんね。テレビやコンサートでもLIP SING(口パク)が多いので、レコーディングができる程度であれば、歌唱力はあまり重要視されません。アフロブロスの3人はそういうタイ音楽界の現実が受け入れられなかったんです。その頃の私は時々「Nicky」「Joey Boy」といった歌手のバックコーラスをする程度で、プロになるつもりはありませんでした。ただ、日本ではHip Hopが好きな女友達が沢山いたのに、タイには全くいなくて、音楽仲間が欲しいと思っていました。
  アフロブロスとはどういう人達?
  タイ北部のルーイ県出身の2人とバンコク出身1人の3人組みで、彼らは2人とも幼なじみで親友です。3人の名前はKappa Rappa(本名New)、Sea Horse(本名Ton)、F-1(Fah)です。
音楽活動をするにあたっては、勉強と音楽を両立させるからと両親を説得しました。最初は猛反対されましたが、なんとか認めてもらえました。しかしアフロブロスのメンバー達と分けられて、Hip Hopのヒの字も知らないようなモデルの女の子と組まされたりとか、さまざまな問題で何度もプロデューサーと揉め、そのたびに「私はアンダーグランドな事がしたい、本当のHip Hopがやりたいから、このままではメジャーで出す気が無い」といい続けました。あまりの状況に2000年11月に全てを白紙に戻しました。音楽活動はアンダーグランドで続けながら、タイ人や日本人の子供たちに日本語や英語を教える家庭教師を始めました。
でも、2001年3月、翌月には日本に帰るというときに事態は急変。グラミーから2002年の2月にデビューする女の子3人組みのHip Hop R&B ユニットの曲にフューチャーリングを(編集部注:曲の一部分をリードボーカルとして歌うこと)頼まれた事がきっかけで、デビューを薦められたのです。断ったのですが、アフロブロスのメンバーにそのことを話すと、「だったら、もう一度僕たちと一緒にやってくれないか」といわれ、Soft Depot(現Raku Raku)と契約することに。
  アルバムを録音したのはどこ?
 

スクムヴィットにあるピーターパン・スタジオです。アルバムのリリース後は、キャンパスやレコードショップ、クラブをまわるプロモーションツアーをこなしました。多いときには1か月16本くらいやってたかもしれません。反響は予想よりも良くて、嬉しかったです。(編集部注:その後テレビ番組で5位、ラジオ番組のチャートで2位、有名CDショップのチャートで第1位を記録しました。)

  ところで、音楽に目覚めたのはいつ頃?
  お父さん(編集部注:俳優のあおい輝彦氏)の影響で、4、5歳の時から洋楽、とくにブラックミュージックばかり聴いていました。LIPSのFunky Townを初めて聴いたときは、幼稚園児ながら衝撃を受けたのを覚えています。
  作詞、作曲方法は?
  は時間があるときに書いています。作曲は音符が読めないので、自宅で唄ったものをテープに録っておくとか、スタジオに入って即興で唄ってみたりします。
  好きなアーティストは?
  一番好きなのはLauryn Hill。好きなアルバムは「Miseducation of Lauryn Hill」
タイでは普段どんな生活をしているの?
音楽を聴いたり、曲を書いて練習をしています。それ以外は掃除、洗濯といった家事、あと、ショッピングも大好きです!!
  好きな食べ物、好きな場所は?
  屋台で買う魚とソムタム!チャトゥチャック・マーケットがとても好きです。
  また今後の予定は?
  実は、家族と一緒に居たいという気持ちが強いので、もうすぐ日本に帰ります。2枚目のアルバムや、別のプロジェクトでタイに戻ることがあるかもしれませんが、拠点は日本にします。音楽の仕事だけをやりたいので、ドラマや映画の話は断っています。日本でのデビューの話もありますが、まだ決心はしていません。
  あなたの5年後、10年後は何をしている?
  今好きな事が2つあり、どっちも選べない状態です。一つは国際交流の道で、もう一つは音楽の道です。もし自分が唄わないとしても曲は書き続けていきたいです。タイで音楽活動をすることは、私にとって国際交流も兼ねたものなので、そういった意味でも意義のあることです。
タイでHip Hopを広めるのも夢です。Hip Hopの素晴らしさは、社会の観念や決まり事に縛られずに、自分の考えを表現し提示できる事だと思います。アートとはただ与えられたものを真似することではなく、自分の内側から生まれてくるものだとみんなに伝えたい。私は純粋に音楽ができる環境にいたいです。
  これからタイに来る人、日本人にアドヴァイス
  タイはすごく良い国で、お勧めの場所だけれど、悪いように利用しないで下さい。怠けようと思えば、いくらでも怠けられるので、楽な方へ楽な方へ行き過ぎないように、気を付けた方がいいかもしれません。
  タイのみんなへメッセージ
  お礼が言いたいです。今まで良くしてもらって、すごくいい経験をさせてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。  
 
2002年1月
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